マーケティングコンサルタント藤村正宏の自伝:8
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子供の頃住んでいたところ。
もう1軒も家は建っていません。
パークゴルフ場になっていた
中学3年の秋に、自主的な新聞を日刊で発刊して、全校生徒の机に入れていた。
それを6号まで発刊したときに、その内容や新聞名が学校で問題になり、土曜の午後に担任に呼び出され、2時間説教された。
その土曜日は、職員室ではなく「生徒指導室」に呼ばれて、担任の「ねじめ先生」がボクに訊ねた。
ねじめ先生っていう人は、空手の有段者で、こわい先生だった。
いつもは激しく怒るのですが、このときは穏やかだった。
でも、その穏やかさがすごく不気味で、怖かった。
誰と一緒にそういうことをやったのか?
最初にそれを聞かれた。
中学生がひとりじゃできないことです。
ボクは仲間の名前は言いませんでした。
ボクがひとりでやっていることにした。
なんか、言いたくなかった。
「こういう新聞を作るのは、言論の自由という立場では否定はしないが、どういう目的でこういう新聞を作ったか話してくれ」
ボクは思い切って言いました。
「なんか、今この学校は、高校に進学するための予備校化しているように思えるんです。中学生にとってもっと有意義なことがたくさんあるんじゃないかと思う。みんなにそういうこと気がついてほしかった」
本当は、ただ目立ちたかっただけかもしれない。
先生や親の言うことしかきかない、ガリ勉している多くのクラスメイトを驚かせたかっただけなんでしょうね。
たぶん。
ねじめ先生は
「だったら、つづけてもいいけど新聞のタイトルは変えてくれ」
ちょっと卑猥な名前だったんですよね~(笑)
「でもそういうことやっている場合か? お前はどこの高校に行きたいんだ?」
ボクの通っていた中学『北海道教育大学附属釧路中学校』は、進学校でした。
ほとんどが、いい高校に進学するんです。
函館ラサール
札幌南高校
釧路湖陵高校
などなど、北海道でも有数の進学校に行きます。
でもボクはあまり成績がよくなかった。
釧路の高校の難易度ランキングでいうと市内で一番の進学校の釧路湖陵高校から、3ランクくらい偏差値が低い高校を志望していました。
「〇〇高校です」とボクは低い偏差値の高校の名前を言った。
「そうか・・・(間)・・・今のままでは、無理だな・・・」
確かに3年生全員の中でも、下から一桁の成績だったから、成績は悪いと思っていたけど、この高校は行けると思っていた。
結構ショックだった。
土曜の午後、2時間くらい生徒指導室で説教されて家に帰りました。
中学3年の秋。
それからボクはガリ勉になったのです。
<つづく>
藤村 正宏
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