三連休は休息していました
久しぶりのお休みでした。
最近かなり移動が多く、ハードな日々が続いていたので、疲れが溜まっていた。
だから、なにもしないでずっと家にいました。
体調もちょっと良くなかったので。
でも、おかげさまでかなり復活しました。
普通に仕事できるまでにはなった。
心配してくださった、たくさんのみなさん、ありがとう。
今年いっぱいスケジュールがかなり過密になっているので、来年はもっと余裕をもとうって考えています。
29年前のことを思い出した
そんなふうにぼんやり過ごしていて思い出した。
29年前の3月にボクの初めての子供が生まれました。
しかし、医師が悲しそうにボクに言ったのです。
「残念ですが、覚悟してください」
「お嬢さんは今日、明日にでも危ない状況です」
「1ヶ月もったら、奇跡です」
「たとえ奇跡が起きても、一生重度の障害は残ります」
保育器の中で身体中にチューブをつけられている赤ちゃんをみて、ボクは感動をした。
27年間、この日のために生きてきたのではないかと思うくらいでした。
初めての子供だったから。
そして、ボクは神に祈った。
「この願いを聞いてくれたら、一生、神のことを信用します」
「他のことは願わないから、これだけ叶えてほしい」
涙ながらに祈っていた日々。
それまで神様の存在なんて信じていませんでした。
自分が努力したら、人生はすべてうまくいく、傲慢にもそんなことを思っていたのです。
人には人を救う力はない。
それを実感したのも、その時です。
尊敬している年上の女性がボクに言ってくれた。
「ともかく神に祈りなさい」
そして、名前をつけてくれた。
「美しく人生を歩めるように『歩美』」
ともかく祈るしか方法はありませんでした。
「どんな形でもいいです。この子を命を助けてください」
「ボクのそばにずっと一緒にいさせてください」
「他には何も望みません、ともかくこの子を救ってください」
奇跡的なことが次々と起きた。
歩美は戦っていました。
様々な危機を乗り越え、そのたびに危機をクリアしていったのです。
腎臓が働かなく尿が出ないのが出たり、腸閉塞の開腹手術をする前に腸閉塞が治ったり、口からミルクは飲めないと言われていたのが飲めるようになったり、生命力で危機を乗り越えていった。
そして、奇跡的と言われていた1ヶ月が過ぎ、6ヶ月間、娘は戦いました。
その間にボクは完全に神の存在を信じた。
そして、歩美は家に戻ることができた。
その時のことは、まだ昨日のことのように覚えています、
今日のようによく晴れた夏空が広がっている日でした。
生きているだけでうれしい
歩美は一生、重い障害を持つことになりました。
でも、生きている。
今も自分のベッドでボクの顔をみて、頬笑んでいます。
自分じゃなにもできない。
自分の足ではどこへも行けない。
自分でごはんも食べられない。
胃に直接チューブで流動食を流し込むだけ。
でも、朝起きたときに歩美に話しかけると、笑顔になる。
妹が声をかけると、よろこぶ。
彼女はそんな状態でも、とってもうれしいのだと思う。
生きているというだけで、とってもうれしいこと。
愛する人と一緒にいるだけで、とってもうれしいこと。
ボクたちは日々生活しているうえで、傲慢になったり、欲深くなったり、人を傷つけたりする。
もっとあれがほしい、これがほしい。
もっと認めてもらいたい。
もっと、もっと、もっと・・・
無限に求めようとする。
でも、彼女の姿を見ているだけで、心が平穏になる。
生きているだけで、仕合わせなことなんだということを教えてくれる。
人は心で生きている。
仕合わせも、不仕合わせも、自分の心が決める。
あとは縁ある周りの人たちに、ボクの与えられた運命で貢献することだけだと思った。
「生きている」ってことだけで、なんて素晴らしいことなんでしょう。
生きていると、美味しいものも食べられるし。
素敵な時間も過ごせる。
大切な人を愛することもできる。
そう思うと、人生って素晴らしいって思える。
生きるってことも、けっこう簡単なことなのかもしれないって、思うのです。
藤村 正宏
最新記事 by 藤村 正宏 (全て見る)
- スティーブ・ジョブズと湯沸器から見る「複眼的思考」って - 2024年12月3日
- 『アヴィニョンの娘たち』を描いたからピカソが美術史に残る天才になった - 2024年12月2日
- 「UGC(SNS上でのクチコミ)がSNSマーケティングの重要な要素」 SNSで語られるための3つの視点 - 2024年12月2日