人との出会いは不思議なものです。
この人と出会わなかったら、確実にちがう人生になっていた。
そういう人がいたりする。
ある人の人生のある時期に現れ、誰かとの出会いを作りだし、その後は関わりが薄くなったりする。
そういうことが目的だったと思わせるような人。
そういう役割だった人。
先日、昔いた会社のメンバーと10年以上ぶりに会いました。
その時に来ていた人のある家族。
この家族にとって、ボクはそういう役割だったんだな。
そういうことを思い出した。
外資系の会社の企画担当役員だった頃
外資系の会社「ラーソン・ジャパン」の役員だった頃の話しです。
1995年前後のコトです。
この会社は、大型の集客施設、水族館や動物園、、博物館、テーマパーク、遊園地、リゾートホテルなどなどの企画、設計、施工をする会社。
ボクは日本法人創業の1992年から99年まで役員をやっていました。
(現在法人はなく、いろいろと分化して遺伝子は残っています)
あるとき、デザイナーを募集することになりました。
募集人員は2~3名。
店や施設の設計デザインをできる経験者。
有名な求人雑誌に募集広告を出したら、約90名の応募がありました。
履歴書が90枚届いた。
設計デザイン担当の役員が履歴書をチェックして、その中から14名ほど面接候補を選んでいました。
ボクは企画担当役員だったので直接の部下の募集ではないのですが、面接は彼とやることになっていた。
週末、仕事が終わったあと、彼からその90枚の履歴書を渡されました。
「面接する候補を選んだから、目を通しておいてくれ。一応こっちが面接しようと思っている人で、こっちは落とす人。落とす人のほうで藤村が面接したい人がいたら、追加で入れておいてもいいから」
クリアファイルに入った履歴書を家に持ち帰って、ボクは週末その履歴書を、一人ひとりじっくり読みました。
人の人生に関わることですから、いいかげんなことをしたら申し訳ない。
そんな思いだった。
コーヒーを飲みながら、深夜自分の机で見ていたのですが、落ちる方に入っていた1枚の履歴書が目に入った。
20代の若い女性、大学の建築科を卒業していて、1級建築士の資格をもっている。
仮に彼女をMさんとします。
「子供のころから、伊豆高原の素敵な別荘を見ていて、ああいうおうちを作りたいと思っていました。それで建築をやろうと思い・・・」
彼女の実家は、伊豆の伊東というところで、別荘がたくさん建っている伊豆高原という地域が市内にあります。
小さいころから、そういう別荘を見ていた。
そんなことが綴られていました。
どうして建築を志したのか。
読んだときに何かピンときたものがあった。
この人を面接してもいいじゃん。
でもTさん(設計担当役員)は、経験は浅いから、きっと落ちる方に入れたんだな。
ボクはそう思った。
彼女の履歴書を、面接候補の方に移しました。
ボクが移したのは彼女だけでした。
面接当日に遅刻してくるなんて
結局面接は14名くらいしました。
2日間に分けTさんが有力だと思った人から順番に面接しました。
1日目の面接が終わったあと、2名の合格者が決まってしまっていた。
もうそれで採用は打ち切り。
そんな感じでした。
2日目の面接は、言葉が悪いのですが「消化試合」みたいな感じで、設計担当のTさんは出張で不在。
ボクとボクの部下が、ふたりで面接をすることになった。
ボクが履歴書を移した女性、Mさんはこの2日目の面接だった。
ところが事件が起きる。
なんと、彼女が約束の時間になっても来ないのです。
連絡すらない。
ボクの部下はきっちりとした性格だったので、「これはもう不合格ですよね、連絡もしてこないなんて」とぶつくさ言っていた。
約束の時間から遅れること40分。
彼女がやってきました。
A2サイズくらいの大きな作品のプレゼンボードを抱え、明らかに急いで来たような感じ。
遅刻した理由は、そのボードを入れていた袋が破れてしまい、それを探して買っていたらしい。
「どうして連絡くれなかったんですか?」
「連絡くらいできるでしょ、電話番号わかっているんだから」
ボクの部下から、意地悪な質問がたくさん出ます。
でもボクは結構そのあたりは重視していませんでした。
自分もそういうことやりそうだったしね。
もちろん社会人として時間を守るっていうことや連絡をするってことは大切なことです。
でも彼女の作品を見たとき、ボクは粗削りでまだ稚拙だけど、そのコンセプトに可能性を感じたわけです。
東京の下町の都市開発のプランでした。
東京の下町は東西の交通網は整備されているのですが、南北の交通網がまだ未発達で、バス便とかしかなかった。
それを隅田川の水運を利用することで、途中に魅力的な場所を作っていくというもの。
現実味はなかったけど、面白い発想だなって思った。
こういう発想ができる人って少ないよな。
そんな感じだったのです。
ボクは彼女を採用したほうがいいと、設計デザイン担当の役員に勧めました。
そしてMさんはラーソン・ジャパンのデザイナーとして採用された。
その時の面接で採用されたのは3名でした。
みんな女性。
Mさんはたぶん一番若かったと思う。
一度は落ちるほうに入っていた履歴書を、ボクが面接予定のほうに移し、面接日に40分も遅刻して連絡もしてこない。
普通の会社だったら、きっと採用なんてされないでしょう。
でも、ボクはそんな常識的な採用基準よりも、発想がおもしろいかおもしろくないか、平均的な人より個性的な人。
今思うと、そういう価値観があったんだろうな、そう思う。
結局採用された3名の中で一番活躍してくれる人になっていくのです。
そして、Mさんは「ラーソン・ジャパン」の社員であったTERAちゃんと恋愛をして、結婚するのです。
現在は二人の男の子に恵まれ、彼女は大手住宅メーカーの1級建築士として活躍してます。
TERAちゃん一家はしあわせそうです。
もしあの夜、ボクが当時住んでいた桜上水の家で彼女の履歴書を移さなかったら。
もしあの日、ボクが遅刻してきた彼女を、社会人として失格だと思ったら。
TERAちゃん一家は、この世に存在していないってことです。
「ラーソン・ジャパン」は本社との契約が終わり、その後販売権が大手商社に移ったり、当時の社員たちが別の会社を作ったりしてなくなってしまいました。
ボクもマーケティングの仕事をするようになって、TERAちゃんとMさんとは疎遠になってしまった。
先日15年ぶりくらいに会って、しあわせそうな家族を見て、「ああ、もしかするとボクはこの縁を作る役目の人だったのかもな」そう思った。
偶然が重なって、ギリギリのところで、なぜか採用されるようになっていた。
まるで神の手の内で、ボクの心が動いていたかのようです。
平均的な人より、はみ出し者のほうが面白い。
意識はしていませんが、昔からそういうことを思っていたことに気づいた。
でも、これはビジネスで成功するためには重要なことです。
現代社会は、どんな企業も個性がなかったら選んでもらえない環境なのです。
いかに個性的になれるか?
いかに尖がれるか?
平均的なことより、個性的なこと、創造的なことが価値になっていく。
そういう時代なんだということを経営者もビジネスリーダーも、そういうことに価値をおかなければ、成功しないのです。
藤村 正宏
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