個人情報保護法なんていうのは無意味になる
最近、プライバシーという概念が少しずつ崩壊していますよね。
もちろんそれはSNSのせいです。
FacebookやTwitter、Instagramで発信していると、その人がどこでどういう活動をしていて、どういうモノを食べて、どこに行ったのかが、けっこうわかりますよね。
たとえばボクが日曜日に山形の鶴岡に行って、東北のエクスマ塾生さんたちと宴会したこと。
月曜日には鶴岡の外車ディーラーでセミナーをして、セミナー始まる前にフェラーリのエンジンをかけたこと。
セミナーでは坪井秀樹さんと一緒にエクスマの基本をお話ししたこと。
セミナー中に着替えたこと。
セミナー後の懇親会。
火曜日にはクラゲで世界一の展示を誇る「加茂水族館」に行って、大きなクラゲの水槽の前で写真を撮ったり、くらげラーメンを食べたり、館長さんに偶然会って、著書にサインをもらったこと。
そして、今日はパナソニックさんの仕事で福岡に来ていること。
それはボクや共通の友人のFacebookの投稿を見ていたら、わかってしまう。
もはやプライバシーの概念の崩壊です。
でも、それは当たり前のことです。
それが嫌だったら、ソーシャルメディアなんてやらなければいいだけの話しです。
「インターネットやフェイスブック以前の世界では、誰もが無名だったからこそ膨大なプライバシーが存在した」
Facebookの創始者、マーク・ザッカーバーグはそう言いました。
ボクたちはインターネット以前はパブリックというツールを持ちえなかった。
発信するメディアはごく限られた少数の企業しかもっていなかったんです。
今は誰もが発信できる時代になった。
ある意味、それは大企業でも個人でも平等な発信ルールだということ。
ザッカーバーグはつづけます。
「だから問題は『完全にプライベートかどうか』ではなく『何をシェアし、何をシェアしたくないか』です」
もしこのままソーシャルメディアが、さらに社会に浸透したら、これは15世紀、印刷技術が発明されて世界が変わったと同じくらいのインパクトがある出来事です。
ボクたちは個人情報保護法なんていう法律が無意味に思えるほど、プライベートをさらけ出していく。
そういう時代になるのかもしれません。
だってそのほうが、メリットがあるからです。
そのほうが、より安全になるからです。
そのほうが、つながりやすくなるからです。
隣に住んでいる人や近所にいる人が、何をしている人かわからないから、不安になるわけです。
その人がどういう仕事をしていて、どういう思考や行動をしているかがわかったほうが、安全です。
誰かがある時に、どこで何をしてたかがわかったほうが、安心です。
ボクがFacebookを始めたのは、2010年の8月1日でした。
ブログより1ヶ月前に始めました。
最初は、こんなにあからさまにプライバシー(個人情報)を公開して大丈夫か?
そう思った。
こんなの日本に根付くかな?
そういうこと。
でもやってみると、どんどん登録する人がふえて、どんどん自分の個人情報を出しています。
こんなにも「個人情報保護法」とかにうるさい国民なのに、かたやFacebookなんかで、プライベートを公開するのか。
それは、プライバシーを出すと、共感が生まれやすくなり、つながりやすくなるから。
人間味が出るから。
Facebookのコンセプトは「人間」
グーグルは「情報」がコンセプトです。
大量な情報をストックして、整理して、体系化して、世界をつなぎ、世界をより便利でいい社会に変えようとしている。
そして、スティーブ・ジョブスはアイフォンやアイパッド、マッキントッシュ、アイチューンストアなどの「装置」を使って、世界を便利でいい社会に変えようとした。
だから大きな意味で、アップルのコンセプトは「装置」。
そして、マーク・ザッカーバーグが考え出したFacebookは、情報や装置というより、
「人間」がコンセプトなんだな、と思った。
人間同士がつながることで、世界をよりよい社会に変えようとしている。
個人情報というのは言ってしまえば、その人がどんな人でどんな考え方をする、どんな人なのかがわかる。
ボクはセミナーや本とかで「個」を出すことが重要だと言い続けてきています。
「関係性」を創り出すためには「個」を出すってことが、必要になってくる。
それは今の時代、モノを機械や会社や店から買うのではなく、人間から買うということだから。
だから「個」を出すと、販促物なんかも反応がよくなるんですね。
Facebookって、実名登録が基本だし、プロフィール写真もしっかりと本人が出ている場合が多い。
ある程度、その人のプライベートがわかってしまいます。
でも、そのプライベートな部分を知ることで、その人との距離が近いものになったり、共感を覚えたり、そういうことです。
たとえば、仕事上の付き合いだけだった人の「基本情報」を読んでいたら好きな音楽のことが書いてあったりして、それが自分と似ていたら、なんだかすごく身近な存在になったりする。
ああ、この人って知らなかったんだけど、ウェイン・ショーター(ジャズのサックス奏者)が好きなんだ、とか、AKBのファンなんだとか、共感するわけです。
ボクなんかそこにマニアックな芸術家の名前なんかを見つけると、なんだか真夜中にPCの画面にひとりで笑って、「この人ってマルセル・デュシャンが好きなんだ~」とか独り言言ったりして、その人がブログをやっていたとしたら、ブログを読みふけってしまうこともある。
仕事以外の一面。
人間として、生活者としての一面が、共感を呼ぶんですね。
こういうことって、さまざまな「関係性」を考えるうえで、かなり重要な要素なんじゃないかな。
そう思うんですよ。
だから「個」を出すってことが、必要になってくる。
私的なことが公的なことを決める
英語でいうと、私的なことは、プライベート。
公的なことは、パブリック。
公共的なことと私的なこと。
でも公も私も、相対的な言い方です。
片方がもう一方を決める。
たとえば本を出版する行為というのは、ある意味「公」な部分に思えます。
でも、その中に書いてあるコトは、ボクの「私」的な考え方です。
私的な思想や、私的な思いを公的に表現しているわけです。
そすると、ボクの考え方をパブリックにすること(公開すること)で共感が生み出され、価値観の同じ人の行動や思考に影響を与える場合もあります。
そうすると、ボクの私的な部分を公的にすることで、その人の公的な活動が変化するような私的な部分に影響を与える。
(ん? なんかややこしいな・・・)
どこから公でどこから私なのか?
曖昧になっていく。
私的なことが公的なことを決める。
そんな感じです。
人間は公私の区別なんてできないっていうことかもしれません。
それを決めるのは自分自身だし、どこまで公開するかを決めるのも、自分自身ってこと。
いずれにせよ、SNSが浸透すればするほど、公私のちがいっていうのはなくなっていくんだと思う。
そしてそれは、いい社会になることだと思うのです。
今はその過渡期なんだな。
パナソニックさんの仕事に行く前に、福岡のホテルで考えていたのは、概ねそんなことだ。
藤村 正宏
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